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執筆者の写真Saori Ushijima

その宝物は、もう要らない。




こんにちは。

私は日常ではどちらかといえばコミュ障寄りで、しかもうざいコミュ障という目もあてられない感じなので、(ADHDという発達の偏りがあってすごい変わってるからwその話はまた今後していきたいと思います)、友人やお付き合いがそれほど多いわけではないのですが、開業してからいろんな人からたくさんのお祝いをいただいて、びっくり感謝の日々を送っています。

世の中はやさしさにあふれているなあと実感…。でも、そう思えるようになったのも、最近のことなのですけどね。


さて、今日は、「宝物」の話。

何が「宝物」なのかって?


それは、あなたの「症状」、「嫌なところ」、「苦手なところ」がそのまま宝物の在りかを示しています。


人は全員が幼いころ、自ら決断して「宝物」を手にします。

「世界は○○なところだ」という宝物です。

それから派生して、「家族とは〇〇なものだ」「人間とは〇〇である」「私とは〇〇な人間である」という宝物を集めて歩いているのです。経験をもとにしながら。

人はその宝物を大切に守りながら、そして宝物は羅針盤の役目をして、その人を守ってくれながら、一緒に人生を歩んでいくのです。


でも、その子がまったく悪くなくても、たまたま、そう本当にたまたま、過酷な環境にいたとしたら?

崩壊した家庭や、意地悪な教師や、友人からの冷たいいじめにあっていたとしたら。

知らず知らずのうちに、「世界は秩序があやうく、意地悪で、冷たいところだ」という宝物を選んでしまっていくのではないでしょうか。


そりゃそうですよね。そんな仕打ちにあって、「世界はハッピー!」などと本気で思っていたら、ちょっとそれは危ない人になってしまいます(笑)


そうして、「世界は危険だ」「他人は意地悪で冷たいものだ」「私は能力のない人間だ」という宝物を手にすると、人はその宝物が示す羅針盤に沿って、その通りに生き始めます。

そうすると、警戒しながら生活しますので、ちゃんと生きることはできてしまいますが、その分けっこう苦労してしまうことも多いのです。


たとえば、不安。

不安は、「この先なにが起きるかわからないから気をつけろ」のサインです。「世界は危険だ」という宝物を抱えていたら、1歩進むごとにそのサインは出続けてしまい、ついには身動きがとれなくなってしまいます。それに「私には対処できる能力がない」という宝物がセットになると、「不安障害」という病気ができあがります。


たとえば、うつ。

うつは「がんばりすぎてエネルギーが足りません」のサインです。でも、「世界はがんばららないと認めてくれない」という宝物を持っていたら、迷惑をかけることを恐れるあまり止まれなくなってしまい、さらにがんばって自分を罰するという悪循環に陥ります。


そのようにして、宝物は気が付けば手に入れているものにも関わらず、時にその人の苦しみを生み出し、それ以上進むことを邪魔してしまうことがあるのです。


なぜ、そんなものを私が「宝物」と呼ぶか。

それは、「宝物」の役割が、「どんな方法であれこの人を生き延びさせる」というものだからです。

「生き延びさせる」ということだけが目的なので、「どういう風に生きるか」まではちょっと役割の範囲外なんですけどね。


崩壊した家庭を生き延びるには、秩序がなくても乗り越えられる警戒心が必要だった。

一方的な攻撃を耐えるには、それに対抗するだけの敵意と憤怒が必要だった。

理不尽さを受け入れるためには、「私には能力がない」という辻褄合わせが必要だった。

だから「宝物」は、過酷な環境に耐えるだけのネガティブな思考を与えてくれたのです。


さて、私は、カウンセリングをさせていただく際、対象は子どもよりも大人が好きです。

なぜかというと、大人は、もう一度自らの意志で「宝物」を選びなおせるから。そうではない子どもの回復とはまったく違う過程をたどるのです。その選びなおしがお手伝いしたくて、私はカウンセリングを続けています。

もちろんその人自身が十分に納得し、十分に今までの苦労にコリゴリし、そして十分な支えがあれば、の話ですので、これを読んで「世界の見方を変えなきゃいけないんだ!」なんて思わなくて大丈夫ですよ。


ただ、少しだけ、このつらいことの多い毎日で、思うようにならなかった人生のなかで、「こうやって生き延びてきたんだな」と思い、自分をいたわってあげてください。


そして、それまで支えてくれた「宝物」に少し感謝をしてみてください。

君のおかげでここまで生きてこれたんだよ、と語りかけてあげるだけで、明日の気分は少し違うかもしれません。

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