こんにちは。今日は雨が降るかとおもいきや、降りませんでした。
代わりに蒸し暑かったー!
ベランダの植物たちも、暑さと湿気を吸って、元気そうです♪
写真中央の鉢は、セージというハーブです。
セージは古くから魔除け、浄化の作用があると信じられていて、
ネイティブインディアンなどの儀式に用いられました。
この葉を乾かして焚くと、遠い異国の神殿にいるような香りがして、
とても心が落ち着きます。
さて、最近、思ったことがあるので、それをつらつらと。
つらい思い、虐待を受けて育つと、幼少期から思春期にかけて、
とても生き急いでしまうことがあります。
年齢よりしっかりした子になったり、どこか諦めたようなところがあったり。
理不尽な「人生」というものに対して、自分で考え抜いて答えをだそうと
がんばっていくからなのでしょうね。
しかし、生き急ぐからこそ、心の一部は成長をとめたままで、
ある日ふと、「あれ?こんなにがんばったのに、人並みになれていない」と感じることがあります。また、栄養(愛情と承認)を十分与えられないまま育ったことによるエネルギー不足に陥り、無気力、引きこもり、職を転々とするなど、社会生活がうまくできなくなることもよくあります。
私は、それをとても理不尽に感じていました。
『かなしい思いをしたからこそ、人にやさしくできる』
『つらい思いを乗り越えたからこそ、素晴らしい人間性を持つことができる』
と世間は言っているのに、がんばってがんばって乗り越えた先に、
まったく未熟なままの自分と、うまくいかない現実が待っている。
つらい思いをしたほうが、未熟で大人になれないなんて。
そんなのおかしい!!と思いました。
くやしいと思いました。
結局、愛されて育ったほうが何もかもうまくいってしまう。
子どもの頃は、ささいなことで言い争い、他人をいじめ、グループで群れていた未熟な人たちのほうが、ふと気づくと大人になっていて、他人にやさしくしたり、気遣いができてしまう。そして、その力があるおかげで周囲に好かれている。自分はそうはなれない。
私自身もですが、お会いするクライエントさんも、同じように理不尽に打ちひしがれているような気がしました。
なんで神様は、こんな理不尽を用意したのだろう。
それは長年私の中で疑問だったのですが、ようやく、最近答えがわかりはじめた気がします。
自分がスタートダッシュで大人にならざるを得なかったぶん、周囲が追いついて、自分を追い越したのなら、
それは『もう、他人に甘えていいんだよ』ということなんだと思います。
次は自分が他人に甘え、お世話をしてもらう番が来たということなのです。
甘え方や、どんなお世話を受けるかは、人によって違うと思いますし、
現実との折り合いをつけながら、ぼちぼちやっていったらいいのかなと思いますが、
まずは、『もう、自分だけでがんばらなくていい。他人のお世話になってもいいんだ』と
自分に許可を出していけるようになると、
人生の第2章が開けるのかもしれないな、と思いました。
そんな感じで、今日はのんびり午後を過ごせました。
私も、少し他人や、愛する人に頼って、お世話になりながら生きていこうと思えた午後でした。
また明日もいいことがありますように!
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