クライエントさんの力のすごさについて
今日も今日とて、お茶を飲みつつ。

お久しぶりです。
ながらくブログを更新していなかったので、つらつらと思うことをば。
クライエントさんの力はすごいな、という話。
もちろん、カウンセリングにはクライエントさんが「相談者」としていらっしゃるので、
私は必然的に「治療者(セラピスト)」となるわけですが、
カウンセリングを重ねるたびに、
「ああ、私が何かしているわけじゃないんだな。クライエントさんはクライエントさんの力でこれまで生きてきて、自分で良くなっていくんだな」と思い知らされます。
具体的に書いて自慢ができないのが残念ですが、
ものすごい芸術性を開花させたり、優秀な専門家として動きだしたり、まだ社会的には羽ばたく前だけれども着々と内面を成長させていたり、パートナーに向き合い続けて二人の関係を劇的に改善したり、
それは「(私の)カウンセリングを受けたから」ではなくて、
クライエントさん自身がもともと持っていた才能や、強さや、女神性とでも言えるような輝きを思い出したからで、
「カウンセリングを受ける勇気さえもあったから」なだけであると思います。
これを読んで、
「私にはそんな才能などひとつもない」
「私は無価値で汚れた存在だ」
「どうせ生きているのはつらいことの連続だ」
そう思った人も多いんじゃないかと思います。
大丈夫、彼女(彼)らも、最初はそうおっしゃっていました。
私はトラウマの扱い方や、トラウマとの付き合い方について学んできてはいますが、
実はふだんのセッションで特別なことをいつもしているかというとそうではありません。
ただ、まぶしいほどの才能を持つクライエントさんのお話を聞き、
どこがまぶしくて、どこが素晴らしいかを見つけているだけです。
ひどい経験や、悲しい過去や、突然の被害はいつもあるのだけれども、
この「まぶしさ」は、そんなものにはひとつも傷つけられないのだな、
と、いつも思います。
トラウマワークやカウンセリングテクニックは、勉強して練習すればだれにでも身につくものです。
誰にでも身に着けられるように、臨床心理学は科学を目指してきたのだと思います。
でも、私にひとつ特別な才能があるとしたら、
クライエントさんの才能や、輝きを見つけ、それを言葉にできることだろうな、と思いました。
それだけ。
クライエントさんは、クライエントさんの力を思い出しただけなんだと思います。
そんなみなさんを、私は本当に尊敬しています。