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執筆者の写真Saori Ushijima

承認欲求の鎮め方


もうずっと10年くらい、SNSの台頭とともに

承認欲求をいかにしてコントロールするか、

という話題があらゆる学者さんや文化人、知識人さんに

論じられてきました。


私のカウンセリングのフィールドは

病院や引きこもりの方が多かったので、

怖くてSNSにも近寄れない方が多く(涙)、

そうしたインターネットコミュニケーションの問題を

真正面から扱うことは少なかったです。


でも、SNSをしてもしなくても、

「誰かから認められない!」という思いは

みんな共通して、痛切に抱いている願望ではないでしょうか。

もちろん、私のクライエントさんたちも、私自身も、

自分のありあまる承認欲求を持て余して、苦しんでいる一人でした。


それに振り回される自分がイヤになったり、

認められるようなものを持っていない自分を悲しく思ったり。


楽しそうなファミリー写真、

美しい家や服の数々、

若いながらにいろいろなことにチャレンジして意欲的な姿。

SNSじゃなくたって、ひとたびインターネットを開けば、

そんなものはゴロゴロしています。

そりゃ、そっち側の人たちも認められたくて発信しているのだから、

認められるような投稿をするのは当たり前なのですが。


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「自分は自分!」っていう言葉、むなしくないですか。

それで気分が楽になって、頑張ろうって思えましたか?


こじらせカウンセラーの私は、昔、思えませんでした(笑)


「そりゃそうだよ、オンリーワンなのは承知の上で、

ナンバーワンになれなくて苦しんでるんだっつーの」

って、よく思っていました。


世間は、「あなたはあなたのままでいい」とか言いながら、

もっと努力しろだの、

もっと〇〇をできるようになれだの、

時間を守れだの、

礼儀をちゃんとしろだの、

もっと柔軟な発想をもってコミュニケーション力を高めろだの!

矛盾したメッセージを送ってくるように思えます。

というか、私は思っていました。


そうしなきゃ認められない、認めてもらえない、認めてやらない。


だったらこんな承認欲求なんてもの、いらないのに!


でも、やっぱり誰かに認めてほしい。

「すごいね」

「あなたは素晴らしい」って言ってほしい。

でもそのためにいろいろ頑張っても、上には上がいて認められない。


そのループでした。


挙句の果てには、頑張りつづけないと一瞬で落ちこぼれるような恐怖にとらわれ、

頑張ることをやめられなくなり、

時折、優しい人から「すごいね」といわれても、

その人が慰めを言っているか、自分がとりつくろっていることで

その人に対して嘘をついているような気持になるかどちらかで、

決して安心できることはなくなってしまいました。


ずっと、物心ついたころから、

「認められたい!」という気持ちと、

「もう疲れた」という気持ちのせめぎあいを続けていたのです。


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でも、そういえば、なぜ、人は他人から認められたいと思うのでしょう?

欲求というからには、「生きるのに必要だから満たしたい」思いのはずです。


それを、「自分は自分。承認欲求は(あるのに)必要ない」と言ってしまっては、

まるで「自分は自分だから、同じ赤ん坊だけど僕にミルクは必要ない」と

根本からの欲求をはねつけているようなものです。


私の答えは、そしてこの承認欲求に振り回されないで生きるための第一歩は、

承認欲求は悪者ではないと認識することです。


承認欲求とは、「世界は優しいと確認するための欲求」なのです。




私たちの世界は、私たち個人に対して優しいかどうか、わかりません。

たまに優しいような気がするし、でも嫌な人や、悪い人、傷つけてくるひともたくさんいる。


たまに、とても家庭環境が良くて、最初から「世界は優しくて素晴らしい!」と

思えている方もいらっしゃいます。

そういう方はこのブログも読まないし(笑)、承認欲求なんてものもほんの少しです。

だから、「自分は自分だから!」といいながら、

キラキラした日常を何の迷いもなくSNSにアップできるのです(笑)


そうではなく、「世界は危険なところかもしれない」と思っている大多数の人にとって、

「この世界はどんなところ?できるなら、優しくあってほしい、安全であってほしい!」という願いをかなえるために、自分が承認されよう、認められようとする気持ちが

高まっていくのです。

そうじゃないと、生きるのが辛すぎるから。

だからみんな、「世界は私に優しいことを感じたい!」と願って、

一所懸命にあれだけの投稿をしているのだと思います。


世界が優しいことを確信するまでは、承認欲求は抑えられるものではないし、

抑えてはいけません。

私たちにとって、生きる命綱のようなものなのです。



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承認欲求は、大いに持っていてくださいね。

決して捨てないで。大切にして。


そして、できれば、「世界は優しいんだ」という証拠をたくさん集めてみてください。


「私は優しくされるような価値がない」

「私には優しくしてくれる人がいない」

「私は優しくされたことがない」


という方も、たくさんいらっしゃると思います。

そういう方も、ぜひ、いったんは「承認欲求は持っていてもいいんだ」と思ってみてくださいね。

優しくされたことがないからこそ、優しさを確認したいのだから。

それは、「希望」なんです。


そして、できれば昔の私のように、「承認なんかいらない!とはねつける態度でいても、さらに承認してくれないかな~」という優しくされ方を待ち望むのはお休みしてみてくださいね(笑)。大変すぎるので!

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