暑い日々が続いておりますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
私はこんがり日焼けしました!
楽しい話も、そうでない話もあるのですが、
今日はQuoraからの回答をお届けします。

【回答】
私にも子どもはおりません。質問者さんの問うていること、少しわかりますよ。
人は生まれると一生ストレスを受け苦しむことをわかっていながら、
ご自身の本能によって子どもを持ちたい、それは許されるのだろうか?
子どもを持たないとしたら、子孫を残すという本能が満たされないまま、
死ぬまで自分が苦しむことになる。
自分が苦しむか、子どもが苦しむか。
自分のために子どもを産み落とすのは罪ではないか?
答えの出ない問いですよね。
私も想像でしかありませんが、もし子どもが産まれたら、
うれしいでしょうけど、同時に「こんな世界へようこそ」
と言いたくなる気持ちもあります。
それほど、ここまでただ生き残るだけでも大変だったということです。
私も質問者さんも、お互いに。
一方で、虐待を受けた子に接して強く思うのは、
「無条件の愛情を持っているのは子どもの方」ということです。
親がどんなにダメでも、どんなに弱くても、そんなあなたでいい、そんなあなたがいい、あなたのために何かしたいと心の底から思ってくれるのは小さい子どもだけです。
だからといって、「そういう存在を得るために子どもを持ちましょう」というのではなく(それは罪ですよね)、「そのくらい、子どもは親を超えた存在だ」ということなんじゃないかな、と思います。
子どもは、苦しみを受けても、それを糧にますます成長していくのかもしれません。
ますます力を発揮し、成功していくのかもしれません。
あなたの子はあなたよりすごいのです。
だってこの自分を、無条件に愛せるくらいすごい人なんだから。
だから、まだ見ぬ自分の子どもを、もっと信じてあげていいんじゃないかな?
って思います。
まだ、生まれてもないのに、見くびってはかわいそうです。
自分よりも、明らかにたくましく、軽々とこの苦しみの多い世界を楽しいものに変えてしまうのかもしれないのだから。
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結果的に産んでも生まなくても、
「まだ見ぬ可能性を信じる」ということが、
自分の人生にとっても大切なことなのかもしれないな、と思います。
みなさんは、どう思いますか?
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