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執筆者の写真Saori Ushijima

YouTubeスターについて思うこと。

こんにちは!

残暑お見舞い申し上げます。


クライエントのみなさんと駆け抜けて、もうこんな季節。

とりあえず、みんな生きてサバイブできてよかった。




さて、最近はガーシー議員なんかも誕生して、YouTubeがにぎわっていますね。

大きく、日本のそして世界の流れが変わろうとしているのかもしれないな、と思います。

それに関して、YouTubeの誕生と隆盛は、とても大きなインパクトでした。


私は、「誰もがメディアを持てる時代」だとは思いません。

映像の世界は、良いカメラや、編集技術や、音響技術がもうすでに必要であり、

そして、「批判をもろともせずに意見を発信できる人」が必要だからです。

そのすべてを集められる才能と努力をもった人に、メディアは微笑むのだと思います。

そしてそれらを集められない私は、その恩恵をたっぷりと浴びています。(ほぼ無料で…)


ありがたいことだなぁと思います。

溺れそうなくらい情報を集められて、静かに、じっと考えられる。

私の中の、意見が花咲くまで。


私は心に傷を抱えている人に寄り添い、そして私自身も社会的にか弱い存在として、日本の片隅にいます。

自分の人生を大切にし、自分が幸せになることを考えて実践し、そして願わくばクライエントさんも一緒に幸せになれたらな、と願う。

そんな小さな人生を、はからずしも選ぶことになりました。


でも、YouTubeを見ていると、本当に人間は多様だなあと思います。


自ら消費される存在へと身を投じる人、

メディアの力を使って何かを成し遂げようと頑張る人、

自らの正義をまっすぐに発信する人、

そしてそれらの中で起こる闘いと、出会いと、別れ。


それを眺めていると、彼らはとても私の視野を広げてくれます。


私は、人間はけっこう良い年になっても、

ささいなことで顔も知らない人と喧嘩するもんなんだなぁと思ったし、

世の中には喧嘩をしたり見たりするのを楽しんでいる人もいるんだなあと、初めて知りました。

あと、「このままじゃダメだ」「大変なことになる」という不安も、大好きなんだなあと思いました。


それがいけないとかではなく、そういう人生もあるんだなあって。


人間は、喜びも、恐怖や不安や、怒りも、同じ「刺激」として認識します。

だから、闘っている人は、闘う「刺激」が好きなんだろうなって思います。


私は、何を人生の中で「刺激」として感じたいだろうか。

もちろん、アタマにそう聞くと、「幸せ!」「希望!」「安心!」と返事がかえってきますが、果たして日常の中でそれをちゃんと選び取っていけているだろうか?

「心」は、本当はどんなことを楽しんでいるのだろう。


そして、今の日本はどんな「刺激」が好きなんだろうか。

なぜ、安心したり、希望を持つことを良しとしないんだろう?

もし、「大丈夫ですよ」「こんな良い未来が来ますよ」と語るチャンネルがあると、

なんだか胡散臭い感じや、変な気分になるのはどうしてだろう?

なんでみんな、「安心しちゃダメ」って思っているんだろう。


喧々諤々と議論するYouTuberや、

延々とゲームに興じて笑いを提供するYouTuberのみなさんを見ながら、

何となくそんなことを考えています。


私は、安心できて楽しいことがたくさんある日本の未来へと、

刺激を選び取っていきたいなぁと思いながら。

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